スマホ・ウェアラブルの「パッシブセンシング」で状態は読み取れるか
質問紙(自己申告)だけに頼らず、スマホの操作ログや活動量計から得られる「パッシブセンシング」データで、働く人のストレスや疲労、生産性を推定する研究が進んでいます。到達点と限界を、研究の設計とあわせて紹介します。
Stella Nest 編集部

「あの部署は、なんとなく元気がない気がする」。そう感じても、手元にあるのはサーベイの回答率か、誰かの体感だけ、ということは少なくありません。スマートフォンの操作ログや活動量計(ウェアラブル端末)から得られる**「パッシブセンシング」データを使い、本人に尋ねずに状態を推定する研究**が、少しずつ積み重ねられてきました。質問紙に頼らない状態把握は、どこまで実現しているのでしょうか。
なぜ問題になるのか
人事・R&D部門でのコンディション把握は、いまも質問紙(サーベイ)が中心です。ですが、自己申告には次のような困りごとがつきまといます。
- 記入するタイミングの気分に引っ張られ、1日・1週間を思い出しながら答える「想起バイアス」がかかる
- 毎日・毎週の記入は負担が大きく、繁忙期ほど回答率が下がりやすい
- 「特に問題ありません」と答えた本人が、変化に気づいていないこともある
自己申告だけでは見えない変化
働く人の疲労やストレスからの回復(リカバリー)を扱う研究も、長くこの制約の中にありました。**「仕事から離れ、心身を回復させることは、従業員の well-being・意欲・仕事の成果を支えるうえで重要」**とされていますが[2]、その裏付けの多くは、日々の気分や行動を本人に記録してもらう「日単位の縦断的なフィールド調査」によって積み上げられてきたものです[2]。毎日の記入という負担を伴う方法である以上、対象者を広げにくく、記入自体が行動や気分に影響してしまう可能性も残ります。

発想の転換
従来、働く人の状態を知る方法は、面談やアンケートといった、本人が「申告する」方法が中心でした。パッシブセンシングは、スマホの操作や体の動き、心拍といった、すでに生まれている行動データ・生体データから、本人に尋ねずに状態を推定しようとする発想です。声から状態を読み取ろうとする研究も同じ発想に立っており、声から働く人の状態は読み取れるかで紹介した取り組みとも重なります。
スマートフォンを使った研究のレビューでは、多くの研究がAndroidのスマートフォンに搭載された各種センサーを使い、加速度・位置情報・音声・利用状況のデータを収集してきたことが示されています[1]。
ストレスの評価とは、ある状況をストレスだと感じるかどうか、それを脅威・重荷と捉えるか、挑戦の機会と捉えるかという、本人の中で行われる認知的な評価のことです。
新しい知見では、この「評価(アプレイザル)」の違いを、スマホではなくウェアラブル機器の生体データと行動ログから推定しようと試みています。
研究の設計
- 01参加者にオフィスを模した個室で、あえて負荷の異なる2つの作業をしてもらう
- 02ウェアラブル機器・カメラ・操作ログで、生体反応と行動を継続的に記録する
- 03数分おきに主観評価(ストレス・気分・生産性)と、VEDAS[4]による「評価」の傾き(eustress/distress)を取り、機械学習モデルで推定精度を検証する
participants: 48 # 学部生・大学院生、平均年齢22.6歳
setting: quiet private office (simulated work tasks)
conditions:
low_stress: "40min, PowerPoint作成(監視なし)"
high_stress: "30min, プレゼン資料作成(画面共有で監視)"
sensors:
- Empatica E4 wristband (EDA, skin temperature, BVP, wrist acceleration)
- Polar H10 chest strap (heart rate)
- Azure Kinect DK camera (facial expression)
- mouse/keyboard activity log
self_report: "5分おきに0-100スライダーでstress/mood/productivityを評定、VEDASでeustress/distressを評価"
duration: "約100分(2022年3月〜7月に実施)"見えてきたこと
パッシブセンシングの研究には、確かな到達点と、はっきりした限界の両方があります。まず定番のレビューでは、状態の変化を精度よく検知できたことや、フィードバックによる行動変容、参加者の当事者意識の向上が利点として報告される一方、技術面・方法論・プライバシーの課題に直面したことも報告されています[1]。
新しい研究では、生体データと行動データを組み合わせて、ストレスの「評価」のされ方を機械学習で推定しています。
| 使用したデータ | ストレス評価の予測精度 |
|---|---|
| 生体データのみ | 79.55% |
| 生体データ+行動データ | 82.78% |
生体データだけを使った場合との差はわずか3ポイントで、電気皮膚活動(EDA)・皮膚温度・血液量脈波(BVP)が特に有用な特徴量だったと報告されています[3]。また、適度なストレス(eustress)は生産性・気分の両方を高める一方、ストレスが低すぎても高すぎても生産性・気分は下がり、ストレスが強い状態(distress)はポジティブな側面(eustress)を上回りやすいことも示されました[3]。
2024年に発表されたこの研究は、48人の学部生・大学院生を対象に、静かな個室で作業を模した課題(約100分)を行わせたものです。実際の職場での長期的なデータではなく、対象も学生中心であるため、そのまま一般の職場に当てはめられるとは限りません。また、定番のレビューが指摘するとおり、多くの先行研究はサンプルサイズが中央値15人程度と小さく、研究デザイン・プライバシーへの配慮に課題を抱えています[1]。
まとめ:測ることは、申告に取って代わることではない
パッシブセンシングは、質問紙では拾いにくい変化を、本人の負担なく捉えられる可能性を持っています。ただし、いまの研究の多くは小規模・短期間のものにとどまり、そのまま職場に導入してよいという段階には至っていません。まず小さな範囲で検証し、何をどう測るのかを本人に開示したうえで、質問紙を置き換えるのではなく補い合う形で使うことが、現実的な一歩になります。
人事・R&D部門でパッシブセンシングの導入を検討する際は、次の点を確認しておくとよいでしょう。
- どのデータを、誰が、どんな目的で見るのかを、対象となる社員に事前に説明し、同意を得ているか
- 推定結果を人事評価に直結させず、あくまで本人や現場が状況を把握するための参考情報として扱っているか
- 小規模なパイロット導入で、実際の職場でも精度や運用上の負担が許容範囲かを確かめているか
こうした手順を踏まずに、精度の数字だけを見て一気に全社導入することは、レビューが指摘する「プライバシーへの配慮不足」を繰り返すことにもなりかねません[1]。小さく検証し、開示し、補い合う。この順番を守ることが、パッシブセンシングを職場で生かす近道になります。
注
- Cornet, V. P., & Holden, R. J.(2017)「Systematic review of smartphone-based passive sensing for health and wellbeing」『Journal of Biomedical Informatics』 https://doi.org/10.1016/j.jbi.2017.12.008
- Sonnentag, S., Cheng, B. H., & Parker, S. L.(2021)「Recovery from Work: Advancing the Field Toward the Future」『Annual Review of Organizational Psychology and Organizational Behavior』 https://doi.org/10.1146/annurev-orgpsych-012420-091355
- Awada, M. ほか(2024)「Stress appraisal in the workplace and its associations with productivity and mood: Insights from a multimodal machine learning analysis」『PLoS ONE』 https://doi.org/10.1371/journal.pone.0296468(新しい研究)
- VEDAS(Valencia Eustress-Distress Appraisal Scale):ある状況を「望ましいストレス(eustress)」と感じるか「望ましくないストレス(distress)」と感じるかを測る心理尺度。
